日々の家事になんだか疲れたな、って思うことありませんか?
- 家族のために動いているはずなのに、なぜか疲れてしまう
- 夫に合わせて家事をすることが増えるとどうしても辛くなる
- 疲れてしまう自分がなんだか情けなく感じる
そうやって自分の「疲れた」に罪悪感を感じることが私にもよくありました。
しかしそんな時にふと思ったのが「家事って”誰との約束”なんだろう?」という問いでした。
- 仕事と家事に追われて疲れている
- 家族のために頑張ることが苦しい自分がいる
- 苦しさを家族のせいにしているようで嫌になる
家事は「他人との約束」になりやすい
家事は生活の基本です。
どれだけ仕事や育児や介護があったとしても家事をやらなければ生活は回らない。
だからこそ「やるのが当たり前」になりがちですよね。
もちろん、同居している家族と分担して家事を行なっている家庭も、専業として担う人がいる家庭も、その分量やバランスに違いはあれど、誰にでも発生するものです。
しかし「やるのが当たり前」だから「私がやる」と決めていても、実際にはこんな場面がありませんか?
- 〜までに洗濯を終わらせて
- 子供のお迎えに間に合わせて
- 夫が明日弁当持ちだから夕食作りの時に一緒に下拵えをして
このように”他人の都合・タイミングで動く”=”他人との約束”がたくさん含まれています。
そんなの、しんどくても自然なことなんですよね。
「家事のタイミング」を自分で決める
タスクとして、
- 洗濯
- 掃除
- 料理
- 買い出し
などの家事は”家族のため”=”他人との約束”です。
家族分の洗濯物を回す。
みんなで暮らす家を清潔に保つ。
美味しいご飯を用意する。
家族の必要なものを買いに行く。
これらの他人との約束は「家族のために動く」だけれど、実は「いつやるか」というタイミングは自分で選べる余地があります。
例えば「午前中にやる」「ご飯のあとにやる」など、タイミングを自分で決めることで、”他人との約束”を”自分との約束”に書き換えることができます。
不思議なことにそれだけで、義務感ではなく「選んで動いている」感覚になれることに気付きました。
なぜ自分で決めることが大切なのか
決められたスケジュール、ここでは家族の動きに合わせた家事の時間の設定では疲れるのに、「自分で決めたこと」は不思議と続けられた経験があります。
心理学では「自己決定感(自己決定理論)」が満たされると、人はエネルギーを感じやすいと言われています。
なので「今からこれをやる」と自分で決めることがしんどい気持ちの解消につながります。
「やらなきゃ」な家事を「やろうかな」に変えると、同じ家事でも軽やかな気持ちになると言えます。
私自身が気づいたこと
最近の私は「自分でスケジュールを組んで、自分のリズムで動く」ことを大切にしています。
手帳に1日の流れを書き出して、どのタイミングで家事をするのか自分で決めて動きます。
そうしたら不思議と気分が安定して、しんどいな、嫌だな、となりにくくなりました。
一方で、夫に合わせて動く時間が増えるとぐっと疲れが出ます。
なので「家庭のために動く」ことがしんどいんじゃなくて、「自分で決められない形で動く」ことがしんどかったと気づけました。
「家事」そのものがしんどいって、なんだか家族に対する思いやりがないのかなと自分を責めていた時期もありましたが、「家事」そのものじゃなくて「家事をいつやるか決められないこと」がしんどいのだと気づけて心がホッとしました。
悪いのはやる気の問題じゃなくて、しんどくなりやすい構造にあったとわかったのです。
自分で暮らしを決めていますか?
家事も育児も「誰かのため」と思うと自分の気持ちが後回しになりやすいですね。
でも「自分で決める余白」が少しでもあると心の軽さは全然違ってきます。
この家事は「誰との約束?」
「やること」と「タイミング」の両方を誰かと約束していまっていないかな?
そう立ち止まって考えてみるだけでも心の軽さは違ってくると思います。
そして家族の「私との約束」としての家事にも、目を向けてみてくださいね。
暮らしの余白がうまく作れない……などのお悩みがありましたらまずは相談会にご予約くださいね。
暮らしを自分で決めるためのお手伝いを誠心誠意させていただきます。